アストン・マーチンの歴史History
アストン・マーチンの歴史は、1910年代前半、第一次世界大戦直前に遡ります。
2人の英国青年、 ライオネル・マーチンとロバート・バムフォードは、英国のポピュラーなライトカー、「シンガー」をモディファイしてレースに出場したことから端を発します。2人は、1913年ロンドン郊外に「バムフォード&マーチン社」を設立。チューンしたシンガーで、多くのヒルクライム・レースに出場し、好成績を残しましたが、自らライトウエイトのスポーツカーを製造する事を考えました。
“アストン・マーチン”という車名は、当時、ヒルクライム・レースのコースとなった“アストン・クリントン”という地方名と、彼の名前、マーチンを組み合わせたものです。
戦後も彼らのプロトタイプでのレース挑戦は続き、輝かしい成績と名車を生むことになります。さらに1925年、最初の市販モデルがモーターショーに発表されますが、パートナーのバムフォードは事業から手を引き、その後、倒産。しかし翌年には、メカニックでありドライバーであり、そしてカーデザイナーでもある、アウグストゥス・ベルテリとウイリアム・レンウィックが、アストン・マーチン社を再建。ベルテリ時代、車の技術的な進歩は向上し、ワークスカーはルマンなどでも好成績を上げました。
そして次の時代を築いたのが、1947年、48年と続けて、アストン・マーチン社とラゴンダ社を買収したサー・デイビッド・ブラウンです。
彼の25年間は、多くの名車DBシリーズが誕生するなど、アストン・マーチンの歴史上、最も輝いた時代となります。
英国A.M.O.Cと A.M.O.C/JRelationship
英国A.M.O.C
アストン・マーチン・オーナーズ・クラブ(AMOC)は1935年ロンドンで始まりました。
世界30各国に支部を有し現在50か国で7000名を超えるワールドワイドな自動車クラブ組織です。
創始者はモーリス.グッドオール.モート氏(Mr.Morris.Goodall.Mort,1907~2001)そして現在の会長はスティ-ブン.アーチャー氏(Stephen Archer. 2022.10~)。
クラブハウスは、長い間、Suttonにありましたが、1989年に、築600年以上の歴史ある、農家の納屋を入手。
改装して2001年に、新クラブハウス『The Barn』として完成。室内には、歴史的な資料やアストンがディスプレイされています。
A.M.O.C/J
アストン・マーチン・オーナーズ・クラブ・ジャパン(A.M.O.C / J)は、英国A.M.O.Cの公式な日本支部として1973年に創設。
本国と同じく、入会のためにオーナーであることを必要とせず、その歴史と伝統を重んじることを重要と考えます。
現在、A.M.O.C/Jのクラブ代表者は、伊澤 裕。(日本支部:Office / 東京・港区新橋、Club House / 千葉県習志野市)